Excite エキサイト:ブログ(blog)蒼天の経歴2就職活動経験談1で書かれていたように、大学時代から自分自身に
自信というものが欠落していき
、「失敗したらどうしよう」「私なんてどうせ駄目」というような卑屈な精神が強く芽生え、就職活動も遅々として進みませんでした。
誰でも経験したことがあると思うのですが、専門的な技術を学ぶ大学や専門学校に行き将来を決めている人はともかく、
ただの学生に将来のビジョンを持ち、就職活動ができるか、というと無理なんですね。
何がしたいのか?何が自分に向いているのか?夢は持っていました。けれど私の夢は才能と関係するもので、努力すればどうなるものでもありません。
やっかいなのはそういう夢を持ってしまった場合、
世間の常識と夢との狭間に立たされる事です。
夢のためにバイトで生きていくか? 普通に就職するか?親の事や世間体。そんなことを考えだすと、私にはとても夢を追いながら生きるという選択をする覚悟ができませんでした。私の両親はわりと放任主義ですが、それでも夢に対しては反対する事はわかっていました。
特に父はそういったことに理解を持たない、現実主義の人でしたから。
別に暴力を振るわれるとか、頭ごなしに怒られるとか、そんなことは父は絶対にしません。でもこう、と決めたら意志はとても強くそれを説得するのは難しい人です。
そして経験談1にも書きましたが、私にはどこか男性恐怖症めいた所があり、父に対して真っ直ぐに向かい合う勇気が持てませんでした。
父が嫌いとか、そういうものではなく、目の前に立つと身が竦んで何も言えなくなってしまいます。何より、これがのちのちうつ病への原因だと理解する羽目になるのですが、
私は本当に「馬鹿」がつくほど真面目なんです(苦笑)
だから勝手に「両親の嫌がることはしてはいけない」「普通に生きなくてはいけない、ギャンブルみたいな生活は両親を悲しませる」と思い、外に飛び出す勇気もでませんでした。それは「悪いこと」だと思っていたのです。
・自分が何をしたいのかわからない。
・真面目に考えすぎて、自由奔放な思考、行動ができない。
・自分自身を卑下し過ぎて、行動する勇気がでない。要約すると、この三点が理由で殆ど就職活動はしませんでした。大学のパソコンで就職情報を眺めたり、地元の企業説明会に出席したり、そういうことはしました。でも何を聞いてもピンと来ない。
ここで働きたいっ!! と魅かれる企業もなく……そんな自分に焦りを感じたり、駄目な奴だと詰ったり……そんな毎日でした。
そしてとうとう運命の日が訪れました。
就職課の先生が、ある会社の情報を受けてみないか、とくれたのです。特に断る理由もなかったので、面接に行きました。そして結果は駄目でした。
まあ、そんなものだよな、と溜息混じりにその現実を受け入れて数日後。
面接を受けた会社から電話がありました。合格した人が入社を辞退した為、その次の位置にいた私に話が回ってきたのです。卒業間近でもありましたし、焦りもあったのでしょう。私は深く考えず了承してしまったのです。
それが地獄の始まりだともしらず……新入社員地獄の日々でした私が入社した会社は本店の他に何店も支店を持つ会社なのですが、その中でも忙しい店舗でした。
何より、各店舗の事務の総括をするMという、
所謂「お局」と呼ばれる存在が君臨する会社だったのです。
面接の時は優しそうな人だと思いました。しかし実際は180度違いました。
未だ心に残る傷と恨みのネタなので箇条書きをさせてもらいます。
1. 感情(好き嫌い)で動く。その為、気に入らない者(私)にはとことん冷たい。
2. 1に関連し、お気に入りを可愛がる姿をわざと気に入らない者に見せる。
3. 気に入らない者に対し、自らの仕事であるにも関わらず、まともに仕事を教えない。
お陰で他店舗の先輩に一々電話して教えてもらう事に(お局の他に私のしている仕
事がわかる人が私が居た店舗には居ない為)なる。相手の方も忙しいのに、と凄く
気が引けた。その癖、電話をして教えて もらおうとすると、自分に聞けと言う(教え
てくれないから電話で聞いているのに)
4. 自分が教えたくないのなら、見本を見せてくれれば良いのに、態々鍵付きの引き出
しに入れて見せない。
5. 新人に対し、一回で覚えろと無茶を言う。そしてその言動の通り、質問しに行くと露
骨に煩がる。
例:常に自分の仕事が優先。お客様が待っていても(私が知識不足で答えられない
で困っていても)知らんふり。
6. 何かあると、根拠も無いのに直ぐに私をまず第一に私を疑う。
7. ミスをひたすら探しては指摘。中には理解できないほど理不尽なものもあった。
例:領収書などで、社名を書くとき一行で書こうが、二行にしようが書類そのものに
不備は無いにも関わらず、自分が一行だから、という理由だけで二行に書いた領収
書を書き直させる。最後に「領収書が勿体無い」と捨て台詞。
8. 他店舗からの電話で、私が目の前にいるのに陰口(もはや陰口とも言えない)を平気
で言う。
9. あまりの惨状に、課長に相談したがお局が怖いのか碌な相談にのってくれない。
10.意を決して、お局本人に「私は覚えが悪いので、何度も質問したりします。ご面倒とは
思いますが一生懸命頑張りますので、お願いですから、質問にきちんと答えてくださ
い。また、メモを取る時間をその際下さい」と直談判。
お局はその時 はわかった、と返事をしたくせにその後の態度は全く変わらず。
大きく分けると、このような状態でした。
毎日泣きながら帰り、家に帰っても大泣きをしていました。
両親は三ヶ月頑張れば状況が変わってくると励ましてくれましたが、慰めにもなりませんでした。
特に父は、企業人の所為か私の愚痴には碌に耳を貸してくれませんでした。私が悪い、など責めるようなことは言いませんでしたが、新人なのだからそれくらい当たり前といった所でしょうか。
稀に
「相手の悪いところばかりみないで、良い所を探しなさい。そうすれば少しはその人への見方がかわるから」とアドバイスもしてくれましたが、そんな状況ではありません。
毎日、毎日、そんな日々が続き、私の体調は変わって行きました。
・毎朝四時頃目が覚める。
・食欲が無くなる(朝は、暖かいコーヒー牛乳しか飲めない。昼食もだんだん食べれなくなって
いきました)
・体重の減退(二ヶ月で約3kg)
・集中力の低下(お局が目の前の机にいるので、怯えて手が震える、計算間違い
が増える←元から得意ではなかったのですが/苦笑)
・家では段々泣きじゃくる以外は無口になり、休みの日も外にもでずぐったりとしている。
・毎日のように会社に行きたくないと思っていた(しかし、真面目な性格が災いしてずる休みをする 勇気もでず)
・出勤時、会社が近づくにつれて胃が痛くなっていく。
何か、覚えがありませんか?そう、
非常にうつ病に近い症状です。ここで何故うつ病だった、と言わないのかというと、
当時の私や両親は「うつ病」というものを知らなかったのです。知っていて、もしお医者様に診て頂いたら、もしかしたら「うつ病」だと診断されたかもしれません。
しかし、ここでは「うつ病だったかもしれない」としか表現できません。診察も受けていませんし、今の主治医にこの事を話しましたが、自分が診察を(当時)していないので、「うつ病」だと言うことはできない、という返答でした。
だんだん、本当に辛くて正常な判断ができなくなっていったような気がします。「辞めたい」と言っても両親は許してくれず、なんとか私をそのまま働かせようとするし、それに逆らえない私。
正直に言って、
「辞められないのなら死にたい」と思っていました。
バスでの出勤だったのですが、このバスが突っ込んでこないかな、とか事故に巻き込まれないかなとか平気で考えていました。苦しくて苦しくて、当時開いていたHPにどうしたら状況を打開できるのか、年上のお姉さま方もいらしていたので、正直に何があったかを書き、どうしたら良いのか、自分が悪いのだろうかと問いかけ、頂いたアドバイスを全て試してみたりしましたが、状況を打開することはできませんでした。
元からあった劣等感がどのように肥大していったか、それを想像するのは簡単だと思います。本当に打ちのめされました。
私の日記の惨状にメールを下さった方の一人にブクマにある「桃花寮」の華令さんもいらっしゃいます。華令さんとはその時以来ずっとずっと人生相談に乗ってもらっています。私のお姉さんも同然の方です。
新しい出会いもありましたが、結局何をしてもお局はお局。その言葉から連想される通りの人で、状況を打開することは困難を極め、私は手札を全て無くしてしまいました。営業の女性人は同情的で何かと慰めてくれましたが、営業の方は事務を教えることはできません。
家に帰って、ネットでHPの掲示板やメールに書かれている励ましや、慰めを読むのが唯一の心の慰めでした。
私はブログを見て頂いても解るように、文章を書くのが好きです。HPでは創作活動などもしていました。今はうつ病のせいで一行も書けないような状況ですが、とにかく文章を打つのが好きだったのです。
新入社員になってからも、創作活動は続けていました。その瞬間だけは何もかも忘れられたからです。
しかしある日。パソコンの前に座っても、一文字も書けない自分に気が着きました。自分の趣味でもあり、唯一の自信。自分を表現する手段それが奪われてしまったのです。劣等感の塊の私の唯一の宝物が奪われた。
そのショックは測り知れないものでした。
少なくとも私には……
パソコンの前で呆然と座りつくしていたのを今でも覚えています。
その時に決めました……辞めようと……家族で大騒ぎになったのは言うまでもありません。母は泣き出すし、私も泣くし。
父は勝手にしろといい、その後の責任は自分で取れと言われました。
たった二ヶ月の就職。
その履歴がその後どう響くかも知らず、私は会社を二ヶ月で辞めました。
今になって、母と二人で「あの時、病院に行っていれば……」という言葉を溜息交じりで呟きます。
今、辛い人。苦しい人。哀しい人。
恐れずに病院へ行ってください。内科でもなんでも良いです。泣き言を言い、死にたいとすら思うと叫んでください。専門の病院を紹介してくれます。ネットで病院を探して行っても良いし、電話帳で調べても良いし、保険福祉センターへ相談するも良いです。
兎に角、我慢をしないで下さい。
我慢をして壊れないで下さい。なにより大切なのは貴方自身です。
自分自身を労わって何が悪いのですか?
恐れることも恥じることもありません。自分自身の為にどうか病院へ行ってください。
退社後
大学時に働いていたアルバイト先の店長が事情を聞いて、再び雇ってくれました。しかしアイスクリーム屋さんなので月収は決まった金額ではなく5万~8万くらいでした。
そうしながら、私は技術がないから何度も聞いたりしなければならないのだ。技術を観に付けようと、医療事務の専門学校へ通い始めました。
二年のローンをはじめて組んで、バイトをしながら週二回、三時間の授業を受けて資格を取りました。
その学校は、派遣会社も経営しているので担当の人に登録してみてはどうか、と言われ、派遣会社の方と面接をしました。
そこで私は傷を抉られる羽目になりました。その面接官(女性)は私がどういう事情で仕事を辞めたのかも聞かず、ひたすら
「二ヶ月で辞められるようではこちらも、相手先も困りますのでそのようなことが無いように」とこの言葉ばかりを繰り返すのです。仕事を辞めたばかりで、自信喪失している私にはその言葉を繰り返されることは苦痛でした。痛くて痛くて、
逆ギレを起こしてその人を殴りたくなりました(マテ)
そのくらいしつこかったです。派遣はある意味、派遣会社に自分の身を預ける仕事です。ですから担当の人が信用できなければ、安心して派遣先になどいけません。私はこんな失礼な人に自分の身を預けられない、と契約するのを断りました。
帰り道、涙がとまりませんでした。駅ビルにある会社だったのですが、駅の隅っこの
誰もいない所で声を殺して泣きました。とまらなかったんです。
ボロボロ、ボロボロ大粒の涙が地面に落ちます。
赤の他人にトドメを指された悔しさ、辛さ、哀しさ。全部が篭っていたのだと思います。
後日、医療事務の資格取得の授業には出続けましたが、担当の方に登録しなかったのか? と問われ正直に話しました。私の派遣担当をするはずだった人がどうなったのかは知りません。でも授業担当の方が眉を顰められたので、私の被害妄想だけでなく、まともな対応ではなかったことは裏づけられたような気がしましたが、慰めにもなりませんでした。